大阪を拠点に活動するロックバンド2010年メジャーデビューした「アシガルユース」
バラエティに富んだ楽曲や声質の異なるツインヴォーカルを武器に、関西出身の彼らでしか成し得ないエンターテインメント性の高いライブパフォーマンスに注目が集まっている。
近年はお台場合衆国「めざましライブ」や「RISING SUN ROCK FESTIVAL」などの野外ロックフェスティバル出演や、TBS系「中居正広の金曜日のスマたちへ」NTV系「スッキリ!!」出演などを経て、今日も楽せず楽しくをテーマに活動中。
彼らの追う音楽に迫ってみた。
バンド結成のきっかけや、最初の出会いについて教えてください
花盛:まず、僕と川崎(サモハン・カワキンポー)がフォークデュオをやってたんですよ。2人で「これイケてるんちゃう?」ってスタートしてたんですけど、当時から関西には素晴らしいアーティストやフォークデュオがいっぱいいて。「もっと仲間増やしたいな、イケメンを入れたいな(笑)」みたいな気持ちもあって。「うまいこといかへんし、なんか心機一転してみよう。バンドにしてみる?」という話になったんです。
それで、「これでダメやったら就職しようか」ぐらいのノリで、2人組からバンドに移行しようと決意して、楽器屋や音楽スタジオにメンバー募集のチラシを貼りまくったんです。SNSが今ほど普及してなかった頃なので、もう紙頼みでしたね(笑)。
杉原:そのチラシに僕が出会ったんですよ。当時、三木楽器さんに行ったときに、隅っこの方に貼られてた小さいチラシが目に止まって。そこに二人の白黒写真が貼ってあって、なんかいいかもなと思って連絡してみたのが最初でした。
花盛:杉原が加わってくれて、最初はドラムも別の人が入ってくれたんです。6年ぐらいやったあと、2014年から南 ロンが加入してくれて、今の4人体制が固まったんですよ。
南:もともとカホンを叩いていたんですけど、縁があって「ドラムやってくれへん?」って声をかけてもらったのがきっかけです。
では、皆さんそれぞれが楽器を始めたきっかけを教えてください。
サモハン・カワキンポー (Vo.Gt) [川崎]
中学のときBon Jovi好きな友達がいて、「文化祭でボーカルをしたいから川崎ギターしてくれへん?」と声をかけてくれたのがはじまりです。高校生でも文化祭で演奏してそのあと専門学校に進みました。花さん(花盛)がゆず好きだったから、電話してスコアブックを貸してと言って。「今すぐお前んち行くよ!」と言ってくれたのは今でも覚えています。
花盛 歩 (Vo.Gt)
僕は完全に「ゆず」がやりたかったんです。とにかくフォークデュオをコピーしてみたかったんですけど、ギター弾けなかったんで最初はタンバリン叩いて「ゆず」に近づこうとしていましたね。そこを川崎に教えてもらって、コード覚えて、歌ってみて。「フォークいいな」って。でもやってるうちに、「もうちょっと幅広げたい」と思って今の形に発展した感じです。
南 ロン (Dr)
僕は小さい頃おもちゃをあまり買ってもらう家ではなくて、その代わりに家には沢山の楽器があったんで兄弟で楽器で遊んでいました。中でも叩いて音が出る打楽器がその当時から好きでした。幼少期から打楽器に触れて、カホンをしていた時期を経て今にいたりますね。
杉原 草太 (Ba)
僕は小学生のときにテレビでめっちゃかっこいい人を見つけて。黒い服を着て、サングラス欠けて…長渕剛さんです。ある日「とんぼ」を聴いて、音楽する人なんや!て思って。それくらいからアコギを始めました。そこから色々時を経て、今はベースに落ち着きましたね。
バンド名の「アシガルユース」はどう決まったんでしょうか?
花盛:バンド名会議はめっちゃ白熱しました(笑)。いろんな候補があって、どれもア行から始まる名前にこだわってたんです。検索でもCDショップでも前にくるので。例えば「アンテナ」とか「エビゾリワイフ」とか「どっちかにしよう」って、びっくりドンキーに集まって会議したんですけど、最終的に「いや、なんか違うな…」ってなって、2つとも却下して。そのとき杉原が「“アシガルユース”ってどう?」って提案してくれたんです。
杉原:周りはうまい人いっぱいおるし、自分は楽器始めたのも遅かったし、「足軽」みたいにいちばん下っ端だけど、そこから下剋上してのし上がっていきたいな、と。しかも“ユース”ってサッカーでいうと、「まだ伸びしろあるよ」って感じも出せるんじゃないかなって。
花盛:そこに「ア行」っていうのも合わさって、「アシガルユース、いいかもね」という流れになりました。実際、CDショップで五十音順に並んだとき、「アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)より先に来るぞ!」なんて思ったりしていました(笑)。
メジャーデビューのタイミングは2010年とのことですが、当時のエピソードをもう少し詳しく聞かせてください。
花盛:2010年にビクターエンタテインメントからリリースが決まったときは、本当に「店頭に並ぶまで信じられへん」って思ってましたね。契約してもいろいろ理由でCD発売まで辿りつかないっていう話を、わりと身近で聞いてたんです。だからレコーディングしても「まだまだどうなるか…」みたいな不安が大きくて。
さらに僕らは「1枚目は絶対メジャーで出したい!」って思いがあったんで、インディーズから出しませんか? って誘われても全部断ってたんですよ。なので、いざデビューが決まっても、「最後まで分からんぞ、発売日まで油断できひんぞ…」って感じで、舞い上がるっていうより冷静な気持ちのほうが強かったですね。
そこからは継続的に楽曲をリリースされて、YouTubeでもいろんな映像がアップされていますよね。曲作りや発信面についてお聞きしたいのですが。
花盛:曲作りに関しては、メンバーそれぞれでアイデアを出し合います。フォークデュオの頃は僕ら2人(花盛・川崎)で曲を作ることが多かったんですけど、今は4人それぞれの色を混ぜる感じですね。「グローリーデイズ」なんかは、実は最初は他の人に書いたような曲で、「自分らが歌うにはちょっと早いかな」って寝かせてたんです。
でも結成10周年を迎えた2016年あたりで「そろそろ自分たちでも歌えるかもしれん」と思って出した曲なんですよ。サビを4人で歌ってるんです。そこが新鮮でしたね。
RISING SUN ROCK FESTIVALや、めざましライブなど大きいイベントにも出演されていると伺いました。ステージでのパフォーマンスで特に意識していることはありますか?
花盛:僕はよく「命を削る」って言いますけど、要するに全力でやらないとお客さんに伝わらない。腕立て伏せ20回が限界の人が、さらに1回やるにはもう“削る”しかないじゃないですか。それぐらいの気持ちでステージに立つときは挑んでますね。
同じ曲でも、全力でぶつかってると音が飛んでくる感じがするんですよ。観てる人にも「今日はなんかすげえ迫力あった」みたいに言われたりして、やっぱり本気度って音に出るんやなって思います。
そうやって、でかいステージでも小さいライブハウスでも、毎回命削るぐらい全力でやる。そしたら、普段あんまり笑わないお客さんが「アシガルユースのライブ観たらなんか笑顔になれた」と言ってくれるんですよ。そういうの、めちゃくちゃ嬉しいです。
今や音楽業界もSNSやストリーミングが当たり前、AIが曲を作ったりもする時代です。アシガルユースとして、これからどんな音楽を作り、届けていきたいですか?
花盛:AIが作詞作曲する時代でも、僕らは「自分らが経験したことを、自分らの言葉で歌う」ってことを大事にしたいですね。難しい言葉を並べたり、きれいにまとめるのはAIのほうが上手いのかもしれない。でも泥臭さとか、生々しさとか、「おにぎりって美味しいよね」みたいな単純なことでも、人間の感情でちゃんと伝えるっていうのが僕らの強みかなと思うんです。
「あえて泥をつけてでも生きた音楽を」みたいな感じですね。結局そういう“人間味”が魅力やし、そこを突き詰めていけば、時代が変わってもちゃんと届くはずやって信じてます。
最後に、読者やファンの皆さんへのメッセージをお願いします。
アシガルユース:まずはここまで長いインタビューを読んでくださって感謝です! 僕らは常に新しいことに挑戦してやっていきたいと思ってます。ぜひライブで、実際にアシガルユースの音楽を体感してもらえたら嬉しいです。命を削る勢いでこれからもがんばっていくので、応援よろしくお願いします!