アパレル社員から音楽の道へ。その大胆な転身の裏には、一本の動画と、音楽を通して得た「生きている手応え」があった。
名古屋、金沢、仙台、そして東京へ。拠点を変えながら、ギターとループステーションを駆使したスタイルで、人との出会いや繋がりを音楽へと昇華させてきたシンガーソングライター、堂本剣人。
彼が音楽に目覚めたきっかけ、人生の転機となった楽曲「もうすこしだけ」の制作秘話、そして芸術一家という意外なルーツ。8月に控える関東初のワンマンライブへの想いと共に、その誠実な人柄と音楽への情熱に迫る。
音楽との出会い
――まずは、簡単な自己紹介をお願いします。
●堂本剣人(どうもと けんと)です。地元は愛知県名古屋市で、大学進学で石川県金沢市へ行きました。そこで「モテたい」という不純な動機で軽音楽部に入部したんです(笑)。でも、文化祭で3曲歌う程度で、Fコードも弾けないような、典型的に音楽をかじっただけのタイプでした。
卒業後はアパレル企業の正社員として宮城県仙台市で働いていたのですが、コロナ禍をきっかけに「何か新しいことを始めよう」と思い立って。あれよあれよという間に新卒3年目で脱サラし、今は千葉に住みながら東京をメインに活動しています。
人生を変えた一本の動画。エド・シーランとの出会い
――一度は離れた音楽を、再び始めようと決断した理由は何だったのでしょうか?
●大学の軽音部で、人と一緒に何かを作る難しさを感じていました。かといって、一人でギターを弾き語るスタイルには物足りなさを感じていて、「バンドは難しい、でもソロも物足りない」という、どっちつかずの状態だったんです。
そんな時、YouTubeでイギリスのアーティスト、エド・シーランが、ギターと「ループステーション」という機材を使ってたった一人で演奏している動画を見つけました。「なんだこの演奏スタイルは!?」と衝撃を受けましたね。たった一人でサウンドも世界観も完結させている。これなら自分にもできるかもしれないと思い、すぐに機材を買い揃えて、勢いで始めました。
――エド・シーランの表現から影響を受けた部分はありますか?
●もちろんです。彼はすごくシンプルなコード進行で、すごく良い曲を作る。コードが2つしかない曲もあったりして。ギターのテクニックで挫折していた自分にとって、彼の音楽は「音楽理論をすごく勉強しなくても、良い曲は作れるんだ」と教えてくれました。自分が今作る曲も、コードが2つだけのものがあったりするので、音楽を始めたい、再開したいという人が気軽にカバーできて、のめり込むきっかけになってくれたら嬉しいなと思っています。
「生きている手応え」をくれた楽曲と、脱サラの決意
――YouTubeでMVが公開されている「もうすこしだけ」も印象的です。この曲はいつ頃作られたのですか?
●まだ会社員だった3年ほど前ですね。これが、ループステーションを使って初めて作ったオリジナル曲なんです。最初は即興で適当な英語の歌詞を当てはめて、その英語の発音に似た響きの日本語を探して当てはめていったら、今の「もうすこしだけ」の冒頭の歌詞ができました。
●当時、会社員をしながら月に1回ほどライブハウスで演奏していました。エド・シーランのカバー数曲とオリジナルを披露するというスタイルだったのですが、お客さんや共演者の方にすごく褒めてもらえて。その時「生きている手応え」をものすごく感じたんです。
これまで何をやっても「中の上」以上にはいけない、中途半端な人生だと感じていました。でも、自分で作った曲で「すごく良かったよ」という言葉をもらえた時、「ああ、自分は生きてるな」と。これが自分の生業になったらとんでもないことだぞ、とワクワクが止まらなくなりました。そのライブから8ヶ月後には、オリジナル曲がまだ6曲しかない状態で脱サラし、それから数年後に上京しました。
当時26歳でしたが、周りには高校から10年間ステージに立っているような猛者たちがたくさんいる。「経験値が10年分足りない。これは正社員をしている場合じゃない。圧倒的な時間を手に入れよう」と。今思えば恐ろしい決断ですが、当時は「今、死ぬわけじゃないよな。じゃあ辞めよう」という感じでしたね。
人との出会いが紡ぐ「浪漫Spring」
――ご自身の音楽を、風景や物に例えるとしたら何でしょうか?
●「人との出会い」からテーマをいただくことが多いです。「浪漫Spring」という曲がまさにそうで、これは仙台のファンの方々が企画してくれたライブイベント「ロマン・スカイ」がきっかけで生まれました。
求められて演奏するという初めての経験、そして音楽を通して心が通う感覚。その時、自分の中で「ライブって春だな」と思ったんです。この日、この場所で出会って、30分のライブの中にドラマが生まれる。まるで入学式のように。その奇跡的でロマンチックな出来事を、イベントタイトルと掛けて「浪漫Spring」という曲にして、ライブの翌日には書き上げました。誰かとの出会いや出来事を自分のフィルターを通して曲にするのが、自分のこだわりであり、世界観ですね。
――ファンの方との印象的なエピソードはありますか?
●実は、幼稚園や小学校低学年のお子さんのファンが結構いるんです。中でも、今1歳半になる最年少のファンの子は、お母さんのお腹の中にいる時から自分の曲を聴いてくれていたそうで。まだ1歳にもならない頃に、「浪漫Spring」のサビの手拍子を真似している動画を送ってくれたんです。自分の想いが、言語を超えて伝わったんだなと体感できて、すごく感動しました。最近では、その親子のことを歌った「おへそ」というタイトルの曲も作りました。いただいた想いは、また曲という形でお返ししていきたいと思っています。
SNS、特にInstagramのリール動画などを積極的に活用されていますね。
●はい、実は今年の2月に上京するまでは、SNSにすごく苦手意識がありました。SNSでバズって、いきなり1000人キャパのライブを成功させるようなアーティストを見ると、どこか悔しくて食わず嫌いしていたんです。
でも、自分自身がエド・シーランを見つけたのがYouTubeだったように、SNSが誰かに見つけてもらうための大きな武器であることは認めざるを得ませんでした。実際にライブに足を運ぶきっかけがSNSであることも実感していましたし。 最近、ライブのMCの動画を切り抜いて投稿したところ、初めて自分を知った方から「素敵なお話ですね」とコメントやDMをいただくことがありました。ライブ映像の切り抜きではなかった反応です。それは、自分が脱サラや上京を親に事後報告した話や、そんな自分を心配しつつも実家で配信ライブを見てくれている母が「月9の主題歌になったらいいね」と言ってくれた、という曲のエピソードでした。 ライブハウス以外での、こうした0から1の関係が生まれるきっかけが少しずつ増えてきて、すごく励みになっています。
関東初ワンマン「Ma YACHIYO」に込めた想い
――8月24日には関東で初のワンマンライブが控えていますね。
●はい、千葉県の八千代台駅直結のライブハウスで開催します。上京して半年というタイミングでの挑戦です。
――「Ma YACHIYO(マ・ヤチヨ)」というタイトルには、どんな意味が込められているのですか?
●「Ma」は「母なる」という意味で、「母なる八千代」という想いを込めています。実は自分の母方の家系は、祖父が版画家、母がアメリカンドールの作家という芸術家一家なんです。その家族で定期的に「Ma Ena(マ・エナ)」という「母なる恵那(母の出身地)」と名付けた家族展を開いていました。自分自身も上京を機に、アーティスト名を母方の名字である「堂本」に変えました。
ワンマンを開催する八千代のライブハウスは、自分にとってたくさんの可能性を与えてくれる大切な場所です。ここを、祖父や母にとっての「恵那」のような、自分を育ててくれる母なる大地にしていきたい。そんな気持ちを込めて、家族展から「Ma」という言葉を借りました。
――ワンマンライブへの意気込みを聞かせてください。
●「これが堂本剣人だ」という方向性を示せる一日にしたいです。その準備として、実は先日、1ヶ月で新曲を10曲作り、その新曲だけでライブを行うという挑戦をしました。「堂本剣人」として書いた曲がなければ始まらない、と。その経験をブラッシュアップして、最高のライブを届けます。
目指す場所と伝えたい想い
――音楽を通して、どんな場所を目指していきたいですか?
●特定の会場へのこだわりは、実はないんです。自分はこのループステーションを使って一人で演奏するというスタイルを通して、音楽を始めたいけどバンドを組む勇気がない人や、一人でいることに不安を感じている人にとっての、何かの希望になれたらと思っています。「一人でも大丈夫だよ」という側面と、「でも、決して一人じゃないよ」という側面。その両方を伝えたい。ステージに立つ自分を見て、何か一歩を踏み出せないでいる人の背中を押せたら嬉しいです。
そして、仙台で昔から応援してくれているファンの方が、「剣人くんが武道館みたいな大きい会場で演奏している姿を見てみたい」とよく言ってくれます。そうやって期待してくれるファンの方々を、色々な大きな会場に連れて行ってあげたい。だから今は、その方が言ってくれた「武道館」という場所を一つの目標として掲げています。
――曲作りにおいて大切にしていることは何ですか?
●先日、新曲披露のライブを「産み落とすライブ」と表現していたら、ある方に「あなたは、曲ができた時ではなく、人に聴いてもらった瞬間を“生まれたタイミング”だと捉えているんですね」と言われて、ハッとしたんです。無意識でしたが、自分はちゃんとお客さんのことを想えていたんだなと、少しほっとしました。
音楽で届けたいメッセージ
――最後に、この記事を読んでいる方へメッセージをお願いします。
●最初は、自分の「生きている手応え」のために音楽を始めました。でも今は、誰かに出会えることが一番の喜びです。自分の音楽、自分の存在が、あなたの「生きる手応え」になれるように、命をかけて頑張っていきます。今こうして見つけてくださったあなた、ぜひ自分の曲を少しでも聴いてもらえたら嬉しいです。