「今ここに自分の心が存在していない」

過去や未来のことに思いをめぐらせては不安があふれ、目の前の物事に集中できない。そうして心がどこかをさまよい、現実から少し浮いているように感じることはないだろうか。

そうしたとき、無我夢中になれるものに集中していると、自分の実体が「今ここ」に戻ってくることがある。音楽がときに心を救ってくれるのは、過去も未来も忘れてメロディに没頭できる時間をくれるからかもしれない。

京都を拠点にミュージシャンとして活動する飯川椎奈さんは、ときに自分の体と心が分離しているように感じることがあるという。そんな椎奈さんが、音楽を通じて「自分のためだけの時間」を見つけるまでの経緯を伺った。


◾️人間らしい感覚が消えた、葛藤の日々

椎奈さんは、これまで月1〜2回、多いときで3回、ライブハウスや野外ライブで弾き語りを行ってきた。小学校の頃にはすでにギターを触りはじめて曲を作り、高校生や大学生になってからはライブやバンドをしてきた。いわば、生粋の音楽っ子だ。

ミュージシャンとして弾き語りを始めたのは、大学卒業後。

「社会人になってからもバンドをしたいという思いはありました。でも、複数人だと自分の思いどおりにいかないこともある。それがバンドの良さではありますが、自分の曲を歌うときには自分の理想に従っていたいし、1人で試行錯誤したいと思ったんです」

とはいえ、大学卒業後はしばらく音楽よりも仕事に打ち込んでいた。ライブ活動を本格化させたのは、社会人になって7年目頃。きっかけは、友人の死や家族の病気が重なったことで精神的に参り、約半年間は実家にこもっていた頃だという。

「1日のほとんどは泣いていましたね。感情の糸がプツッと音を立てて切れてしまい、笑い方や食べ物の味が、突然わからなくなりました。人が何を言っているのかもわからない。人間であれば感じられるはずのことがまったく感じられなくなった。自分のなかから、人間らしさがなくなりました」

ご飯をしっかり味わって食べることができれば、目の前の人との会話に集中できれば、有意義な時間になるはず。だが、そんな当たり前のことができない。椎奈さんの体は、今という時間軸にありながら、心はいつも、どこかをさまよっていた。

「『いつかは親が死んでしまう』とか『この先、今以上の苦しみや悲しみが待ち構えているんだろう』とか。考えても仕方のないことばっかり、うようよ考えてしまう癖がありました。今思えば、暇だったんだと思います」

当時の椎奈さんの頭を占めていたのは、「いのち」だ。かつて亡くなった友人の存在が頭に浮かんだ。親が病気になった。一方で自分は、病におかされてはいないのに生きている実感はない。この3つのいのちについて、ぐるぐると考えをめぐらしていたという。

「振り返ると、中学生の頃から二者面談で『死とはなんですか?』と、先生に質問していました。身近に亡くなった人がいたわけではなかった一方で、頭では『自分には、いつか終わりが来る』と、わかっていました。だからこそ、今を生きるということに関心があるのかもしれません」


◾️音楽が「今ここ」に連れ戻してくれた

「普通の生活を送りたい。特別なことは起きなくていいから、平穏な日々が欲しい」

泣き疲れてからようやく眠り、起きると目が腫れている。そんな日々を繰り返すうちに、静かに眠れる日々を望むようになった。

「もともと感情の振れ幅が大きいせいで、小さなことにも一喜一憂してしまう。それに囚われてしまう時間が異常に長く、心身ともに疲弊する。そんな状態だったので、平穏無事な生活を強く望むようになりました」

どん底にいた椎奈さんの心に寄り添ってくれたのが、音楽だ。ふと思いついたメロディーが、自身を奮い立たせてくれる。みずから作詞作曲をすることは、心が折れる作業ではありながらも、それを上回る喜びがあった。音楽は、「心から好きだと思える唯一のもの」だという。

また街中で生活をしながら音楽をしたい——。そんな想いが湧きはじめ、音楽づくりを再開した。

「音楽をしているときは、自分がいちばん人間らしくいられます。きっと自分の心と身体が“今”という時間の軸と一体化して、無心でいられるからだと思います」

すぐに曲を作れるタイプではないというが、このときばかりはたった2日で新曲が完成した。タイトルは「音楽」。これまで苦しいことがあったけれど、これからは音楽と一緒に生きていきたいという、椎奈さんの想いが込められた一曲だ。

 

「この曲があれば音楽活動ができる。そう思って、あとは流れに身を任せるように音楽活動を再開しました」


◾️支えてくれる人がいても、最後に立ち上がるのは自分

椎奈さんの音楽は、無機質なビルに囲まれているかのような息苦しさや、真っ暗な穴にいるときのような味気ない絶望を思い出せる。

しかし、一曲一曲を聴いていると、ほのかな光が射していることにも気づく。その光にぐっと手を伸ばしたくなるような、静かでありながらも再起力にあふれた音楽だ。

「私は多分、悲観的な人間だし落ちるところまで落ちてしまいます。ですが、心のどこかでは『最後は自分の力で立たないといけない』と思っています。落ちていく自分と、いつかは前に進まないといけないとわかっている自分。その両面があるからこそ、自然とそういう歌詞になるのかもしれません」

正論を言われても暴力になるし、共感だけされても傷のなめ合いになってしまう。そんなとき、苦しみを肯定しながらも一歩前を進んでいる人を見ると、ほんの少し立ち上がる気力が湧いてくることはないだろうか。

椎奈さんの音楽に宿る力強さは、等身大の彼女自身なのかもしれない。

「人からたくさんの言葉をもらう一方で、半分納得しながら半分納得していないところがありました。人に相談することは大切ですが、それを踏まえたうえで、どうしていけばいいかは自分と向き合って考える。当たり前のことだけど、自分を変えていけるのは自分だけだと思っています」

椎奈さんの再起力には、もうひとつの源がある。

それは、「いのち」について思いめぐらせるきっかけとなった、かつての友人だ。出会ったのは高校生の頃。ジミ・ヘンドリックス(*)のように背中でギターを弾く、同級生の男の子だった。

*ジミ・ヘンドリックス:アメリカ出身のロックギタリスト・シンガーソングライター。現代のロックギターの基礎を築いたとして名高く、ギターを歯で弾いたり、背中で弾いたり(背面奏法)、個性的な演奏法でも注目を集めた。

「学校帰りに、よく一緒に歩いて悩みを相談したんです。特に覚えているのは、『悲しいときや苦しいときは、自分の心をお日様の光にさらすんだよ』という一言。私にたくさん言葉を残してくれた人です」


◾️幸せは、答えのない苦しみと表裏一体

椎奈さんの音楽活動の軸となっているのは、「生きるための、歌。自分のための、音楽。」というビジョンだ。椎奈さんにとって、音楽をしている時間は自分であるための貴重な時間。聴いている人が感情移入できる曲を作ることは意図していないという。

「プライベートでも仕事でも、あまり我を出しすぎてはいけない場面がある。だから、周囲の意見や期待に合わせて行動し、自分の意見を飲み込むことがあります」

一方で、弾き語りは良くも悪くもすべての責任が自分にある。どんな音を奏でてどんなライブを作ればいいか、誰かが教えてくれるわけでも答えが用意されているわけでもない。どこを完成形とすればいいのかわからない苦しさと表裏一体の幸せが、音楽にあるという。

「『聴いてくれる人のために歌おう』とは、まったく思っていません。もちろん、お客さんの存在はありがたいですが、自分のためだけに全力でやっている、というのが本音です」


◾️認められるためではなく、自分のために歌い続ける

椎奈さんは、「聴いてくれる人がいなくてもいい」という想いに気づきはじめてから、ライブ活動を減らしている。それでも、お客さんを“存在しないもの”として扱っているわけではない。

「目の前で人が感動しているのを見たときは、『自分の音楽には、そんな力があるんだな』とか『よかった』と、思うこともあります」

ライブ中、椎奈さんの歌に涙を流す人がいるという。ステージを降りる椎奈さんを引き止めて、感想を伝えてくれる人もいるという。自分のために歌うことを大切にしている椎奈さんにとって、自分が生み出したもので誰かに影響を与えられるというのは、予想外なことであると同時に、幸せなことでもあった。

その理由として、数学者・岡潔の「すみれはすみれの花であればいい」という言葉を教えてくれた。すみれはすみれとして存在していれば十分であり、誰かに影響を与えようと認められようと関係ない、という在り方を指す言葉だ。

「花は、誰かにこう思ってほしいと期待して咲いているわけではない。だけど、私たちはそれを見てうつくしいと感じますよね。私も、音楽活動を通じて、その在り方を目指したいです。周囲の人に認められるためではなく、自分らしくいることで自然と感動してくれる人がいる。それが理想形ですし、実現できていることは、とても幸せなことだと思っています」

自信を持って、そう言い切った椎奈さん。しかし、今後どのような形で音楽活動を続けていくかも、いつまで音楽活動を継続していくのかも、決めていないという。ただ現段階では、京都でミュージシャンとして生きていきたいという思いはあるそうだ。

「これまで京都市内を転々と引っ越してきましたが、はじめての場所に住むことに、いつも怖さがありました。だけど、住み慣れるとなんだかホッとします。『私はここで生活をしていたんだ』という記憶が蘇って、あたたかな気持ちになるからでしょうね。それと同じように、京都市のあちこちでライブをして、いつか『ああ、私はここで歌っていたなぁ』と、しみじみ振り返りたいのかもしれません」

人それぞれ、無我夢中に向き合いたくなるものがきっとある。それはキャリアかもしれないし、家族を守ることかもしれないし、何気ない会話かもしれない。何であれ、心が無になれる場所があってこそ、息を存分に吸い、自分自身というものを取り戻せるのだろう。

「社会人として生きる時間が圧倒的に長いなかで、音楽をするときは自分のことだけを考えていたい。聴く人がいなくなっても私は歌い続けると思います。私は仕事だけじゃなく音楽にも生きた。その軌跡を、残していきたいです」