唯一無二の特徴的な優しい歌声で若い層を中心に幅広く支持されている山合圭吾という京都木津川市出身のシンガーがいる。勢いを増して活動を続ける彼の音楽への想い、そして原動力は何か迫ってみた。

はじめてギターに触れたのはいつ、歌い始めたきっかけは何ですか

アコースティックギターにはじめて触れたのは小学5年生の時です。もともと僕はバンドが好きで、フジファブリックさんとかアジアンカンフージェネレーションさんとかくるりさんの曲が好きだったんですけど、当時は小学生だったので、バンドをする仲間が周りに少なくて。YouTubeで金木和也さんという方が弾き語りをしているのを見たんです。ハナレグミさんの楽曲をカバーしているのを見て、「ひとりでもできるんや」と思いました。それで、家に誰も使っていなかったギターがあったので、小学5年生の頃から弾き始めました。

見よう見まねで押さえ方を真似したり、はじまりはそこですね。

音楽はどちらかというと趣味みたいな感じでした。外でサッカー部の活動をして、帰ってから音楽をするという日常でした。サッカーは大学卒業までしていて、ポジションはゴールキーパーでした。サッカーの中では人を動かしたり指示するのが得意でしたね。

オリジナル曲を作り出したのは中学校の時でした。授業中とかにちょっと歌詞書いてみたり、替え歌で歌詞をつけてみたりというのを始めたのが中学1、2年生の頃でした。

「感じるままを、音で描く」というテーマを掲げた理由は何ですか?

この言葉を使うよう意識しはじめたのは実は最近で、今年MINAMI WHEEL(ミナミ・ホイール)というイベントに出演した際に、ラジオにも出演させていただいたんです。その時にプロフィールを読んでいただくんですけど、キャッチコピーというか自分の中で自分の音楽を一言で表すものがないなって気が付いて。

色々考えて、ホームページを立ち上げるタイミングでこの一言に決めました。自分を表現するとしたらこれかな、という想いで。

楽曲をつくるとき、どういうきっかけで曲作りをしますか。

活動初期はメロディが先で、歌詞を後からつけていました。ですが大学を卒業してから心が揺れることが少なくなっちゃって、ちょっと心が揺れているなという時に曲を作るのが多かったんですが、最近は歌詞から書くようになったなと今思ったら感じますね。よく皆さんが言うように、メモにちょこっと残したりすることもあれば、思いついた瞬間に曲っぽくAメロBメロに分けて作り出しちゃうようなことも

スイッチが入ったときに作って後から聴いて「これじゃ思いが伝わらないな」と思ったら工夫していったり。比較的短いスパンで制作を進めることがあります。

今まで出した楽曲の中で自分の中で特に思い入れのある印象的な曲を一曲選ぶとすればなんですか

迷うなあ。火花という曲が去年の夏にリリースされたんですけど、結構自分の中でうまく思いを表現できたなと思っていて

これまでは、人の話を聞いたり、上手く伝えようと試みたりすることが多かったのですが、はじめて自分の思うことを歌詞にした楽曲っていうのがあって。「言い合ったり喧嘩しないと結局人同士うまくいかない」ということを実際に肌で感じた経験があって、今までうまくいっていた関係がいきなり「実はこう思ってた」という意見でぶつかりが起きて離れ離れになった。ていう実体験を、どう言葉にして表現するかが上手く着地できた楽曲かなと思っています。

心動く機会が減ったと伺いましたがそんな中でも最近心の動いたことは?

自分が何もできないとき、日々の生活の中で音楽から少し離れたところにいたときに、携帯をふとみると皆のキラキラした投稿をみると妬んでしまったりとか、他人に矢印が向いてしまったりするんです。そのことで自分の中で葛藤したり、「どうしたらいいんやろ」と、負のループに追い込まれるときがあって。

そんな時、知り合いが「自分の持っているモノを見つめなおして、そこにひたすら感謝したらいいよ」という言葉をくれました。はじめ聴いた時は、そんなこと言われても今の現状は変わらないと思っていたんですけど、いざ自分のやっていること思っていること、持っているギターや機材をみて「頑張るために買ったんやもんな」って思いながら過ごしていたら自然と心が立ち直ってきて

だんだん自分のことが好きになれたり、自信がついてきたんです。その変えてくれた言葉をもらったときは心が動きました。

例えば声が良い人とか歌が上手い人がいたとしても、僕自身の声は自分にしか出せないしそれも一つの武器だって思って。武器が一つでもあれば心が落ち着く拠り所があるので、今自分が何を持っているのかを把握して見つめなおすのって大事やなって思っています。

いつもステージ上で意識していることはなんですか

ライブに出だした当初は共演の方に対して「この人たちよりも絶対いいライブするぞ!」という一心で挑んでいたんですけど、最近は目の前のお客さんとか会場の雰囲気に目がいくようになって。少しでもこのイベントが盛り上がったらいいなとか、自分の欲よりはどうしたらお客さんが喜ぶかな、というところを考えるようになりましたね。

主催者の方がどういう気持ちで誘ってくれたのかなとかを考えるようになりました。

印象的だったライブのエピソードはありますか

MINAMI WHEEL(ミナミ・ホイール)に初めてでたのが2022年かな、2年前に初めて出させていただいたんですが、当時ステージの幕が開いたときにお客さんが全然いなくて。あの景色はやっぱり忘れられないです。ちゃんと自分の知名度が無いことを肌で感じられたし、そこが一番のターニングポイントです。悔しかったなと。あの景色は今でも胸に刻んで、そういう自分がいたからこそ今応援していただけることは当たり前じゃない。と色々なことを冷静に見れるようになりました。

ファンの方に支えられていると実感したことはありますか

ライブに来てくれていることが凄く支えられているなと思うし、インディーズなので手売りチケットとか手渡しでライブにきていただくことがスタンダードなんですが、時折オープンしたら来てくれているケースもあったりして。そういう時って、ファンの方が情報をキャッチしてくださって来てくれたんだ。って、ちょっとでも行きたいと思ってくださっていることがとても嬉しい。支えていただいているなと感じます。

音楽を本格的に始める前の自分と今の自分を比べてみて変わったことは何ですか

本格的に始めたのは2021年とか…コロナ禍の頃だったんです。それまではサッカーに熱中していたんです。音楽の世界に入って、色んな方に出会うことが増えましたね。きっとこの道を選ばなかったら出会わなかったかたと出会えているなと。いくつになっても若くみえたりカッコいいと思う方がいて。そういう刺激ってサッカーだけじゃ得られなかったと思うんです。

当たり前のレールから逸脱した生き方を知ることも多くて、だいぶ視野が広がったなと思っています。大人になれているかわからないけれど、大人になっていくスピードが倍速に感じますね。

山合さんが目指している音楽での場所はなんですか

やっぱりメジャーデビューが一番の目標なんですが、それ以前に一緒に歩んでくれる方とか、自分の音楽や活動に対して真摯に向き合ってくれる方たちと一緒に夢を叶えていきたいです。ざっくりとした理想像ではあるんですけれどそれがありますね。

春に公開の映画の劇中歌に選ばれたことについてきっかけを教えてください

来年2025年4月に公開のジャルジャル福徳さんが著した本「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」の劇中歌に僕の歌、さらに出演もするんですが、きっかけが大学時代毎日京都で路上ライブをしていたときで。その時にたまたま監督が路上ライブの前を通りがかったみたいで、たまたま僕が歌っていた曲が良いと声をかけてくださったんです。その時に歌っていたのがコロナ禍で卑屈になっていた時の歌詞を歌っていたんですが監督が15秒くらい動画を回しながら歩いていたみたいで、その2年後にメールが来て「よかったら出演してくれませんか?」と。

その映画のテーマが大学が舞台なんですが、僕が歌っていたその情景がマッチしたみたいで。この間は国際映画祭にお邪魔させていただいて。来年4月に公開なんですけれどよかったら見ていただけると嬉しいです。凄いご縁をいただいたなと。

ストリートライブ頑張っている方僕以外にも沢山いると思うのでそういう方たちにも何か、色んなカタチがあるんやって知るきっかけになれば嬉しいです。公開されたら、そこからまた繋がって出会う方たちとの出会いを大切にしていきたいです。

今後挑戦してみたい音楽のジャンルや楽曲はありますか

バンドサウンドはやっぱりずっと憧れではあったので、それこそくるりさんとかフジファブリックさんみたいな。ゆったりだけれどメリハリのあるような、じんわり泣けるような楽曲を作っていけたら嬉しいなと思っていますね。どういう風にカタチになるかはわからないですがチャレンジしてみたいですね。

来年の8月心斎橋 Music Club JANUSのワンマンファイナルに向けて意気込みをお聞かせください

映画などを引っ提げてツアーを回るんです。そのファイナルをMusic Club JANUSさんでさせてもらいます。東名阪ツアーに関しては憧れのミュージシャンだったりずっと大好きだった方たちをお呼びさせていただいてライブをするんです。ファイナルのMusic Club JANUSさんっていうのが僕の中で、初めにもいった金木和也さんだったり松室誠也さん石崎ひゅーいさんといった男性シンガーソングライターがやってたらかっこいいなという場所ではあるので、自分の中のロマンじゃないけれど憧れがあるので。しっかりとその方たちに憧れて活動をしていると世代を背負うっていったらおこがましいけれど示していけるようにしたいです。

楽曲「隣り合う」を作った経緯を教えてください

この楽曲は高校二年生の時に作った曲なんです。

文化祭でオリジナル曲やってみたいなって思って。その時に作って、思っていたよりも聴いてくれた人からの反響があって自分の中で嬉しくなって大切にしていきたいなと思った曲なんです。今の年齢になって見返すと当時こんなことを思っていたんやなとか思いながら、活動を始めたら、リリースしたい一曲だと思っていました。

ずばり音楽を続ける理由は何ですか

やっぱりルーツというか、偉大な先輩方の背中を見てきたからというのがあって。今30歳や35歳くらいのシンガーの方が、僕と同じくらいの年齢だった頃は、弾き語りが盛り上がっていた印象があって。そういう方たちが今やメジャーデビューしたり第一線で活躍されているのを見て、そういうところに辿りつける希望があるなと。こうなりたいっていうカタチが明確にあるので、それがやめられない理由というか。活動していて苦しい時もあるけれど、やり続けた先に先輩方のような人になれるかもしれないとか。どうやったら近づけるかな、とか。常にそれを考えているので。基本的には悲観的になったりとかではなく、自分に足りないのはなんだろう?と考えさせてくれる環境や先輩の背中が一番大きい理由だと思います。

最後にこの記事を読んでいる皆さんに伝えたいことをどうぞ

読んでくださってありがとうございます。今の自分は来年のツアーとワンマンライブが今の目標なので、そこに向けてちゃんとそこに見合ったようなアーティストになっていきたいと思っています。それは、曲や歌、人間性も。全てのことに関して成長していきたいです。ツアーをするべきアーティストだったんだ、Music Club JANUSさんでワンマンをすべき人だったんだと思ってもらえるようにしっかりやっていきたいと思っているので、気にかけてもらえると、時に必要としてくれたら嬉しいです!