広沢:
大阪市出身のシンガーソングライターとして、デビューして年数が経ちました。自分の作品を作る傍ら、ほかの方の楽曲プロデュースやレコーディング参加など、音楽制作全般の仕事もしています。言葉を大事にしながら曲作りをしております広沢タダシです。
── 広沢さんが音楽を始めたきっかけは?
広沢:
父がクラシックギターの演奏家、母がピアノの先生で、幼いころから家ではクラシックが流れていました。4歳からピアノを始めて、母と厳しい先生のところで本格的に学んでいたんです。でも小学3年生くらいになると、「スポーツがしたい」と思うようになって、ピアノからは一度離れました。
それから高校2年生のとき、家にあったギターを弾き始めたのが再び音楽にのめり込むきっかけですね。ちょうど通っていた教会でギターを持ってワーシップソングを歌う機会があって、そこで弾き語りの楽しさに目覚めました。
── そこからプロを意識しはじめたのは?
広沢:
高校卒業後、音響(PA)の専門学校に進んだんですが、現場に出てもどうもしっくりこなかったんです。途中で「ギター科」に転科したら、作曲の授業に出会って。1時間で書いた拙い曲を先生に褒められて、「曲作りって面白い」と本気で感じたのが最初ですね。
そこから月1回のペースでライブに出始めて、2年後にはデビューが決まったんです。自分でもあまりに早く話が進んだので驚きでしたね。
インディーズから802チャート上位へ
「シロイケムリ」がもたらした反響
── インディーズ時代の「シロイケムリ」がFM802チャート上位にランクインしたと伺いました。当時のエピソードは?
広沢:
FM802は、いわゆる“ヘビーローテーション”に選ばれると一気にブレイクが見込めるという、今もなお大きな影響力を持つステーション。当時DJのヒロ寺平さんが、僕のインディーズ盤「シロイケムリ」をいきなりオンエアしてくれたんですね。
それが大きな反響を呼んで、ヒロさんご本人から生放送中に電話がかかってきたりと、まさに「音楽業界の父」のように引き上げていただきました。そこから輪が広がって、メジャーデビューに繋がっていったんです。
メジャーデビューと葛藤
「実力が追いつかない」壁との闘い
── 2001年に「手のなる方へ」でメジャーデビューが決まったときのお気持ちは?
広沢:
とにかく必死でしたね。作曲してからすぐデビューが決まったので、ワンマンライブの経験も少ない。バンドを従えて2時間歌い続けるなんて未知の世界で、声が持たずに潰れそうでした。
亀田誠治さんや椎名林檎さんのバンドと一緒にライブをやったり、大きなステージに立ったりしましたが、最初は声が出ない、何もかも追いつかない。そこから一気に経験を積んで、ボイストレーニングなど本格的に勉強しはじめました。
── 苦しかった時期と、それを乗り越えた瞬間があれば教えてください。
広沢:
デビュー後すぐは、実力不足でライブがつらかったですね。あとは、音楽業界がタイアップ至上主義になったり、「泣き歌ブーム」のように一方向ばかりが求められたりして、「それだけが正解なのかな?」と思う時期もありました。
でも自分でレーベルを立ち上げたり、海外で制作にトライしてみたことで、ビジネス的には大変な部分もありますが、自由にものづくりができるようになった。そこからは伸び伸びとやれています。
さまざまな出会いとコラボレーション
憧れの人と同じステージに立つ日
── これまで多くのアーティストとのコラボがあるそうですね。思い出深い出会いは?
広沢:
初めて買ったCDがCHAGE and ASKAさんだったんですが、そのCHAGE and ASKAさんとフェスで共演したとき、挨拶に伺ったんです。お二人が椅子から立ち上がって近くに来て挨拶をしてくださったときは衝撃でしたね。ずっと聴いていたスターが目の前にいる、という感動でした。
── 幻の共作として、絢香さんとの「歌が始まる」という楽曲もあったそうですが。
広沢:
絢香さんが僕の曲を好きと言ってくれて、「一緒にやりましょう」と声をかけてくれたんです。それで「歌が始まる」という曲を書いて、彼女の「POWER OF MUSIC」というツアーで武道館で披露したんですが、ちょうど絢香さんが当時の事務所を離れる時期だったりして正式リリースは叶わなかったんですがとてもいい経験でした。
最新作「青春の正体」
サッカー大会テーマソング“青春を呼び起こす”歌
── 新曲「青春の正体」は、サッカー大会のテーマソングと伺いました。どのように作られたのでしょう?
広沢:
高校サッカーの大会のテーマソングにという話をいただき、最初は2回ほど歌詞を書き直しました。「青春」という言葉は普遍的だけど、何を指しているのか曖昧な気がして。
「青春の正体」というワードは入れたかったのでその言葉をもとに、メロディを探ったんです。10代の人にも共感してもらえるし、僕と同世代の人が聞いても、自分の中の青春を呼び起こすような曲を目指しました。
── 実際に聴かせていただきましたが、切ないのに温かい雰囲気でした。
広沢:
言葉先行で作るほうが好きなんですよ。言葉のリズムや抑揚から自然にメロディが浮かぶことが多くて。この曲は特にそのアプローチがうまくいったと思います。
ロンドンで学んだ「正解のない音楽づくり」
世界のサウンドに触れ、自由を知る
── 海外でレコーディングや制作をする中で、大きな影響を受けたお話を聞かせてください。
広沢:
僕にとって特に大きかったのは、ロンドンでの制作ですね。故・KUMA HARADAさんと一緒に作業したときは、プリプロをしに行ったはずが毎日ティータイムだけで終わる(笑)。「事前に全部固めてくる必要はない、リハで考えればいい」という考え方なんです。
日本だと、遅刻は絶対NGとか、譜面どおりに弾かなきゃいけないとか、間違いは悪みたいな意識がありますよね。でも向こうでは「譜面を見なくても、耳で反応してかっこよければOK」。ズレていても、音が面白ければそれが正解になる。
間違いを恐れずに自由に表現する感覚に触れたことで、音楽だけじゃなく生き方も変わりました。「これはこうしなければいけない」という固定観念を捨てて、肩の力を抜いて創作できるようになったんです。
「まだ始まったばかり」
次の1曲を求めて走り続ける
── 長く音楽活動を続けてこられた中でのモチベーションや軸とは?
広沢:
結局は「いい曲を作りたい」という気持ちです。次こそは最高の1曲を、と思いながらここまでやってきた感じですね。特別な大義や政治的なメッセージを掲げるわけではないけれど、人間の心の機微を小説のように描きたい。聴いてくれる人が自分の景色を重ねられるような曲を目指しています。
── 若いシンガーソングライターやアーティストに向けて、メッセージがあればお願いします。
広沢:
僕なんかが言えることは少ないですが、「遊ぶこと」を恐れないでほしいですね。間違いを怖がらず、準備しすぎず、もっと自由に挑戦してみる。そういう姿勢から生まれるものが、きっとクリエイティブな音楽に繋がると思います。
まだ見ぬ音楽との出会いを楽しみに
── 最後に読者へのメッセージをお願いします。
広沢:
長くやってきたようで、まだまだ始まったばかりだと感じています。ずっとワクワクしながら曲を作り続けたいし、ライブで皆さんと出会えるのが何より楽しい。これからもよろしくお願いします。